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和歌山地方裁判所田辺支部 昭和50年(ワ)47号 判決 1976年8月25日

原告

木下忠助

被告

株式会社紀州電工

主文

被告は原告に対し、金二四万二、四三一円およびこれに対する昭和五〇年八月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれに五分し、その四を原告の、その余を被告の負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金一五〇万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

(一)  交通事故の発生

原告は、昭和四七年一二月二五日午後五時一〇分ころ和歌山県西牟婁郡上富田町市ノ瀬二、〇五六番地先道路を横断歩行中、折から同所を走行してきた訴外石橋慎三運転の特殊自動車(和八八六三五四号)に衝突されて跳ねとばされたため、背部打撲症、右上腕打撲、頸部捻挫、腰部打撲の傷害を負い、同傷害の治療として、昭和四七年一二月二五日から昭和五〇年七月四日現在までに通院治療三八五日、入院治療八二日を要したうえ、現時点でなお腕があがらず日常生活に不自由をきたす有様で後遺症一四級の症状を残している。

(二)  帰責事由

被告は右事故車の保有者であるところ、本件事故は被告の従業員である前記訴外石橋が被告の業務のため運行中に惹起したものであるから、被告は運行供用者として自動車損害賠償保障法第三条により原告に対しその蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

(三)  損害

本件事故により原告が蒙つた損害は次のとおりである。

1 療養費

(イ) 治療費 三七万三、五五〇円

(ロ) 通院交通費 八万八、〇四〇円

(ハ) 入院雑費 二万四、六〇〇円(一日三〇〇円の割合で八二日分)

2 休業損害 八四万円(一カ月三万円の割合で本件事故後二八カ月分)

3 慰藉料 一一四万八、〇〇〇円

(入院一日三、〇〇〇円の割合で八二日分、通院一日二、〇〇〇円の割合で三五六日分、後遺症慰謝料一九万円)

(四)  損益相殺

原告は、右損害の一部補償として被告より六七万円の支払を受けたので、前記損害の記載順にこれを充当した。

(五)  原告の請求

よつて、原告は被告に対し、右損害金残額の内金一五〇万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の答弁

(一)  請求原因(一)項中、原告が加害車両に跳ねとばされた事実は争い、傷害の部位、程度、治療状況は後遺症が一四級であることを認めるほかは不知、その余の事実は認める。

(二)  同(二)項は認める。

(三)  同(三)項中、原告主張のような損害が存在することは争う。すなわち

(1) 原告の長期間の治療は、大半老人性症病によるもので、本件事故とほとんど因果関係がない。原告は事故当時加害運転者に対して負傷がないといい、警察にも事故後一八日経過して始めて届出たものであるが、その際の診断書の内容からも因果関係が判明しない。

(2) 原告が請求する治療費のうち、マツサージ費用は本件事故と相当因果関係がない。マツサージは、医師がその負傷の治療に必要であり治療効果があると認める特段の事由があると判断した場合に当該負傷についての必要治療とされるのであるが、本件の場合医師がその必要を認めていない。

(3) 原告について休業損害は認められない。

本件事故時(昭和四七年一二月二五日)において、原告は八二歳の高年齢であつて、就労による明確な所得はなかつた。そして、全職種の全国労働者の統計上の平均賃金をみるのに、八二歳では賃金収入はないことになつている。

(4) 原告の後遺症の症状固定後の損害金の請求は理由がない。

後遺症による損害は、もはや治療の効果がほとんど乏しくなつた状態で固定した症状に対して慰藉料等の損害を認定するものであり、したがつて症状固定後の治療ならびに休業は、右後遺症による損害と重複する限りにおいて改めて損害金として評価されないものである。原告の後遺症の症状固定時は、昭和四八年八月三一日であるから、それ以後の損害金の請求は理由がない。

三  被告の抗弁

(一)  過失相殺

本件事故は原告の重大な過失によつて発生したものであり、その割合は六〇%を下らないので過失相殺されるべきである。

すなわち、本件事故は、訴外石橋が自動車を運転して本件事故現場に差しかかつたところ、前方交差点手前に横断歩道が設けられているのに、右横断歩道の北側約九メートルの地点を斜め横断してくる原告を自動車前方約五メートルに発見したので、急制動措置とともに右ハンドルを切つて衝突を回避しようとしたが、原告の方で車両前部左端に当つてきたものである。運転者である右石橋は刑事上は全く過失がないとして不起訴処分になつている。本件事故はほとんど原告の一方的過失によつて生じたものというべきである。

(二)  本件事故による損害金のうち、原告に対し被告が金六七万円を支払つたほか、加害運転者である前記石橋により慰藉料三万円を賠償した。

四  抗弁に対する原告の答弁

抗弁事実中(二)は認める。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  交通事故の発生およびその事故の態様

当事者間に争いのない事実に成立について争いのない乙第五号証の一ないし三、証人石橋慎三の証言、原告本人尋問の結果を総合すると、訴外石橋慎三が、昭和四七年一二月二五日午後五時一〇分ころ、普通貨物自動車を運転し時速約四五粁で本件事故現場付近道路を南進中、進路前方約三〇メートルの道路左端を歩行してくる原告をいつたん認めたがそのまま進行するうち、約一五メートルに接近したところで原告が反対方向を眺めながら道路をやや斜めに横断しかけほとんど道路中央線近くまで進入していることに気付き、直ちに右に転把するとともに急制動をかけたものの、車が道路中央線の右側に出てほとんど停車すると同時くらいに車両左前部のバツクミラー付近が原告の右肘の下あたりに当り原告はその場に尻餅をついて倒れたこと、その際原告に外見上傷害と見受けられるほどのものはなかつたこと、原告の横断箇所より約九メートル南方は三差交差点になつており、同所手前には東西に渡る横断歩道があつて押ボタン式信号機が設置されていたこと等が認められる(原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信しない。)。

二  原告の受傷およびその内容

原本の存在ならびに成立について争いのない甲第一号証ないし第八号証、原本の存在について争いがなく原告本人尋問の結果によつてその成立が認められる甲第九号証ないし第一二号証、成立について争いのない乙第二、三号証、第五号証の四、五および原告本人尋問の結果によると、原告は、本件事故当日原告の住所地である和歌山県西牟婁郡上富田町市ノ瀬に所在するオキ外科において診察を受けた結果右胸部打撲痛で向後一〇日間の安静加療を要する旨診断され、同日から昭和四八年一月一三日までの間に一三日医院に通院したのち、同日朝来所在の中井医院に転医し、同医院においては右肩および右上肢打撲、腰部打撲の診断のもとに、同年一月二〇日から同年六月一〇日までの間に一三日通院し、さらに同年六月一一日から八月三一日まで入院して、それぞれ治療を受け、一方右入院期間に一部重複する同年六月五日から同年七月一三日までの間に三日間田辺市湊所在の保富整形外科にも通院し頸椎骨軟骨症、右肩関節周囲炎なる傷病名で治療を受けたこと、昭和四八年一一月八日付中井医院医師中井育夫作成の自動車損害賠償責任保険後遺症傷害診断書(甲第八号証)においては、原告の傷病名は右上肢打撲、右尺骨神経麻痺で同年八月三一日治癒、右上肢の疼痛、右環指、小指の背屈障害のため日常の労作に相当なる程度支障を来す旨診断され、右診断に基ずいて自賠法による後遺症等等級を第一四級九号と認定され相応する後遺傷害補償費が査定されたこと、なお、昭和四八年五月二三日付オキ外科医師隠岐和彦作成の診断書(乙第五号証の四)によれば、原告はその当時他に高血圧症、脳動脈硬化症を患つていたこと等が認められ、右認定事実に前記本件事故の態様を併せ考えると、原告は本件事故を原因として右肩および右上肢打撲ならびに腰部打撲の傷害を受け、その後右受傷に起因する右上肢の疼痛および右尺骨神経麻痺の症状を治すべく前記各医院での通院および入院治療を受けたが、結局昭和四八年八月三一日前記甲第八号証記載の障害を残存して症状が固定したものと認定することができる(前掲の各傷病のうち、頸椎骨軟骨症、高血圧症、脳動脈硬化症は本件事故と因果関係があるものとは考えられない)。

ところで、原告は右症状固定後も後遺症治療のため右中井医院に継続して通院(現在まで三五六日)したと主張し、他方甲第七号証(昭和五〇年四月八日付前記中井医師作成の診断書)では新らたに原告の病名として頸部捻挫、頸部痛がつけ加えられ、甲第九号証(昭和五〇年四月一五日付前記中井医師作成の診断書)においても原告がその時点で外傷性頸腕症候群なる傷病名で通院加療中である旨の診断記載がなされているのであるが、前記本件事故の態様からは本件事故によつて原告の頸部にそれほど強い衝撃が与えられたとも考えにくいところ前記後遺症の等級認定が行われた昭和四八年一一月に至るまで原告は本件事故に原因する頸部の異状を全く訴えておらず、担当医師においてもこれを覚知していないこと、もつとも前記保富整形外科の診断では原告が頸椎骨軟骨症である旨の判定がなされているが、これが本件事故との関連は明らかにされていないこと等からみれば、前記症状固定の診断後一年有半ののちの時点に作成された前記中井医師の各診断書に示されている原告の頸部の異状が本件事故に起因するものであることの確証はなく、しいては症状固定後の原告の中井医院への通院が本件事故に基く後遺症治療だけのものであつたかも分明でないものといわざるを得ない。

三  被告の責任原因

本件事故車が被告の保有にかかるものであり、また本件事故は被告の従業員である訴外石橋が被告の業務のため運行中に発生させたことは、被告において自認するところであり、してみると、被告は、自動車損害賠償保障法第三条にいわゆる運行供用者として本件事故に原因すると認める範囲の前記原告の受傷による損害を賠償すべき責任がある。

四  損害

(一)  前記傷害の療養関係費 三四万六、三三〇円

(イ)  治療費 三一万五、七七〇円

原本の存在および成立について争いのない甲第二号証、第四号証および原本の存在について争いがなく原告本人尋問の結果によつて成立が認められる甲第一〇号証ないし第一二号証によると、本件事故に原因すると認める原告の前記傷害の治療費としては、オキ外科分一万二、九四〇円、中井医院分三〇万一、八三〇円、保富整形外科分一、〇〇〇円を要したことが認められる。

なお原告は、昭和四八年一月以降昭和五〇年二月までの間谷口治療所で施療を受けた数十回に及ぶマツサージ代を本件事故による損害(治療代)として請求するのであるが、右マツサージが本件事放に原因する原告の前記傷害に対する必要治療であることの立証は十分でない。

けだし、マツサージの施療が、運動障害を伴う傷病の機能回復に効果的であることは一般的に知られている反面、肩こりのもみほぐし、疲労回復等特に疾病の治療ともみなされない健康の保持、増進の目的のために利用されることも多い実態に鑑みると、これがある傷害の治療として必要な措置とするには、医師による格別の指示があつた場合を含めてそれが当然とされる特段の事由が認められなければならないというべきところ、原告本人尋問の結果では、原告は右マツサージは特に担当医師の指示によつたものでなく自から任意に行なつた旨を供述する一方、原告は既に八〇歳を越える高齢のうえ前示高血圧症、脳動脈硬化症等の持病があることも考えると、原告が主張する右マツサージが果して本件事故に原因する傷害の治療として必要なものであつたかどうか明らかでなく、これをもつて本件事故による損害と認めることはできない。

(ロ)  通院交通費 五、九六〇円

原告本人尋問の結果によると、原告は中井医院、保富整形外科にバスで通院し、それぞれの往復料金が二八〇円、六八〇円であつたことが認められるので、本件事故による傷害の治療のために要した通院費用は次のとおり計算される。

中井医院関係(昭和四八年一月二〇日から同年六月一〇日までの間の通院一三日分および入、退院に際しての往復一回分) 三、九二〇円

保富整形外科関係(通院三日分) 二、〇四〇円

なお原告は、症状固定後である昭和四八年九月一日以降現在に至るまで中井医院に合計三五六日の通院治療を受けた旨主張するのであるが、なるほど症状固定後といえども後遺症による苦痛軽減のためなどにときに通院治療を要する場合がないとはいえないけれども、原告が通院回数の証拠として提出した甲第一五号証ないし第一八号証(各通院明細の証明書)を検討するのに、そこに記載されている通院の頻度は、二カ月有余の入院治療のうえ改めての治療効果がほとんどないとされる症状固定が診断されてのちのものとして不自然と思えるほどに多いところ、前記のとおり後日本件事故との因果関係が必ずしも明らかでない原告の頸部の異状が診断され同時に原告には高血圧症等の余病もあつた事実にも徴すると、原告のその後の通院がすべて本件事故による後遺症治療のためのものであつたかどうか疑問なしとしない。

のみならず、原告が通院明細として別個に提出している甲第一四号証によると、原告が右中井医院に入院中である筈の昭和四八年八月中にも四日間に及んで同医院に通院した旨全く矛盾した証明が記載されていることから、前記甲第一五号証ないし第一八号証の記載内容の正確性にも疑義があり、その通院回数を確定することはできない。原告主張の昭和四八年九月一日以降の通院交通費はこれを認定するに由ない。

(ハ)  入院雑費 二万四、六〇〇円

前記中井医院での入院治療日数八二日に平均的雑費金額として一日三〇〇円を乗じたもの。

(二)  休業損害は認めることができない。

原告は本件事故当時月額三万円の収入があつたと主張し、原告本人尋問において、近所で農業その他の手間賃稼ぎによつて相応の収入があつた旨供述するのであるが、原告の年齢、身体的状況等に照らして同供述は容易に措信し難く、他に原告の主張を立証するに足る証拠はない。

すなわち、本件事故があつた昭和四七年一二月二五日当時原告は既に八一歳の高齢者であつたものだが、通常男子労働者の稼働可能年齢の上限は六七歳であつて、もはや八〇歳を越える老人の場合は、極めて特殊な例外を除いて、俗に隠居の身として自からの稼働による収入がないことは、改めて該当年度の賃金センサス等の統計的数字を参照するまでもなく公知の事実といえるのである。そしてまた、原告がその供述するような肉体労働に従事して定期の収入を得ていたというのは、原告が極めて高齢であるばかりでなくその当時高血圧症、脳動脈硬化症等の持病もあつた事情からみて、容易に信じ難いところである。原告について本件事故による収入減を認めることはできない。(仮りに、原告のように老人福祉の対象年代にある老人がアルバイト的になにがしかの収入を得ており交通事故によりその収入減があつたとしても、これを直ちに財産的損害とは評価せずむしろ慰藉料額の算定に際して考慮すべき事情とみるのが相当である場合が多いであろう。)

(三)  慰藉料 一〇〇万円

本件事故によつて蒙つた原告の精神的損害は、既に認定したところの、原告の受傷(後遺症を含む)の内容、入通院の期間(症状固定後の通院については、本件事故との関連ないし通院回数等が具体的に明らかでないことは前示のとおりではあるが、かといつて後遺障害についてその後の治療が全く必要ないものとも解されないので、原告の主張どおりではないまでもなお相当年月および回数の通院治療を要するものとみなし、これを慰藉料算定の総合的事情の一つとして斟酌するのを相当とする)、年齢、境遇その他諸般の事情を考慮したうえ、全体として一〇〇万円をもつて相当と認める。

五  過失相殺 三割

前記一項において認定した本件事故の態様によれば、本件事故車の運転者である訴外石橋は、老齢者である原告が進路前方道路左端を歩いてくるのを予じめ認めていながらその後の動静についての注視を欠き、特に原告がまさに道路横断を始めようとするころの挙措を見逃して同人が道路中央線近くに進出してきて始めてこれに気がつくという認識の遅れが本件事故の発生に大きく彰響したと認められる点において、自動車運転者としてまさに基本的な前方注視義務を怠つたものというべく、その過失の程度は必ずしも軽いものでない。

一方、原告においても、本件事故現場の直近に押ボタン式信号機が設置されている横断歩道があつたのに同所を通行せず、また右方からの進行車両の有無を確認しないまま本件事故車が至近に接近してくるなかをいきなり道路端から斜めに横断をしようとした重大な過失が認められ、これまた本件事故の発生に相当な原因を与えたものといわざるを得ない。

そこで、右両者の過失を彼此比較した場合、本件事故の発生に占めた原告の過失割合は三割とみるのを相当とする。

したがつて、前項に認定した本件事故による損害額合計一三四万六、三三〇円から三割を過失相殺によつて減ずると、原告が被告に請求し得る損害額は、九四万二、四三一円になる。

六  損害の填補 七〇万円

原告が既に本件事故の損害賠償として、被告から六七万円、訴外石橋から三万円の支払を受けていることは当事者間に争いがないので、右金額を前項の損害額から控除すると、二四万二、四三一円となる。

七  結論

よつて、原告の本訴請求は、被告に対し金二四万二、四三一円およびこれに対する本件事故発生の後である本訴状送達の日の翌日であること記録上明白な昭和五〇年八月二三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当としてこれを認容し、その余の請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 濱田武律)

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